遺された家族の「これから」のために 故人の送り方と心の持ち方

愛した人を自分が送りたい形で自分の心のままに送るのが本来の葬儀

大切な家族を亡くしたとき、遺された遺族は深い悲しみに襲われます。

 

よく、「もう年だったからお祝い事のようなもの」と微笑んでおられる方も見ましたが、それでも「喪失感」はぬぐえません。

 

 

遺族の深い悲しみと喪失感

悲しみと喪失感

悲しみと喪失感

その悲しみは、何も葬儀や仏壇、お墓に向かい合った時だけにやってくるのではありません。

 

故人宛にとどくダイレクトメール。

 

故人の使っていた携帯電話を解約するとき。

 

最後の汚れ物を洗濯しているとき。

 

冷蔵庫に作りおきされた最後の手料理であるカレーを食べた後に、唐突に切なさが訪れるかも知れません。

 

それは、家族葬でゆっくりと故人を見送っていたとしても、また一般的な葬儀でみんなに惜しまれて送り出した後であったとしてもかわりません。

 

愛した人を自分が送りたい形で自分の心のままに送る

こういった深い喪失感に襲われている遺族に、「早く元気をだして」とか「死んでしまった人も心配するよ」という言葉は、優しさや心配からかも知れませんが、あまりに無力です

 

このような時は無理に元気を出そうとしたり、忘れたりする必要はありません。

 

また逆に、いつまでも故人を忘れないでおこうと思う必要もありません。

 

遺された家族にとって、一番「楽な」行動をとれば良いのです。

 

家族葬に限らず、一般的な葬儀であっても、マナーやしきたりはつきまとうでしょう。

 

それらを守ることももちろん大事ですが、マナーとは人を不愉快にしないためにあるものであり、それ以上のものではありません。

 

それらにとらわれすぎるよりも、自分が送りたい形で、自分の心のままに送る方が、これからのためになるでしょう。

 

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